2017年1月23日月曜日

肩書が自分か、自分が肩書か(カラスが飾りを取ったら)



有名広告代理店の方とお仕事をさせて頂いたことがある。

 

その方は親御さんに常に「おまえはタクシーの何処に乗る人間になりたいのか?」

と言われ続け、親の意を汲み「運転席の後ろ」を選択する人生を

選んできたんだそうだ。
 
 



つまり「駕籠(かご)に乗る人担(かつ)ぐ人そのまた草鞋(わらじ)を作る人」

の中で「どのポジションに座るのか?」ってことを言われ続けたって

ことだと思う。

 

この諺が持つ「人間は適材適所」って意味よりも

ステイタスを持って金を持って、人に使われるのではなく
 
人を使うようになる

それが勝組の生き方っていう教えだったようにも想像するわけだ。

 

良い悪いではなく、それが高度成長期の子育ての典型だったかも

しれないなぁと思いながら聞いていた。

 

その方とは親しい関係ではないので、まあ言わば私は通りすがりの

おばちゃんなのであるが、何かとても引っかかるものを感じていた。

 

その方の物差しが「自分にとって利益になる人間か、どうか」で

細かく分かれているように感じたのだ。

 

大抵の人がそうかもしれないが、演者とすれば同じ立場の人間

(つまり私だね)と有名人に対するそれが余りにも違っていたので

とても驚いたからだ。

 

無名の私の方を優遇しろとは言わないが、あからさまに態度を変える!?

良い大人が!?という気持ちになったが

 

その方の目盛りは細分化されているようで、その方の中では

すべての人がランキングされているみたいだったので、

その仕事の何か月かの期間、観察するにとても面白かった。

 

それから何年か経って、その方が何かのビジネスを始めたそうだが

うまくいかなかったという話を小耳に挟んだ。

 

なんでも名刺に過去の会社名がなくなった途端に人脈が切れた

みたいな感じだった。

 

その頃、とあるパーティーに出なければならない羽目に陥り

興味本位で出席したら、そこに地方自治体の議員さんが来ていた。

 

ものすごい笑顔を作って私の元に寄ってきてくださったが

当然ながら、私と話しても利益が得られないと数秒で悟られたらしく

 

彼女の視界から私は速攻で消え、消えるだけならまだしも

挨拶の途中だったにもかかわらず、完璧に無視され

 

次のターゲットに満面の笑みで近付いて行かれたのを見送った。

 

「怖っ!」っていう感想しかなかった。

 

まあね~、時間の無駄って判断されたんだろうなとは思ったが

 

肩書やら知名度でこんなに人の態度って変わるんだなぁって

わかってはいてもびっくりしたのだ。

 

それから、しばらくして今度はマスコミ系の方とお仕事を

する機会があった。

 

私にとっては全くの異次元空間なので、見るもの聞くもの

初体験で言われるまま「へーへー、おっしゃるとおり」と

へりくだっていたのだが

 

打ち合わせの席上、ご一緒になったフリーの立場の方と

そのマスコミ系の方が突然、喧嘩を始めたのだ。

 

男性同士の怒鳴り合いに私は恐怖しかなかったのだが

要約するにこんな感じだった。

 
マスコミ系の方の

「アンタ(フリーランスの方)の代わりなんていくらでもいるんだよ!

俺様の言うことがきけないなら、サッサと帰れ」という言葉に対し

 

「おまえなんか、会社名がなくなったら、誰も相手にしねーんだよっ!

偉いのはおまえじゃなくて、社名だろ!?」

 

ってな返しだった。

 

(まあ、そうなったのはそれなりの背景がある)

 

その仕事は何となく、そのまま動き、成功だか何だったかは

よくわからないが、とりあえず終了した。

 

その後のフリーランスさんがどうなったのかは全く知らないが

その両者の大人げない光景に「あわあわ」していた私である。

 

人がスポーツ選手、例えばキングカズさんとかイチローさんを

限りなくリスペクトする要因にはいろいろなことがあるとは思うが

 

その中に所属先はあるにしても「本人」で勝負しているって

ことが含まれていると思う。

 

肩書があるのはとても安心するし、その肩書が大きいものであれば

あるほど守られ具合も高くなるであろうことは想像付くが

 

それが未来永劫あるものであれば何の問題もないのかもしれないが

もし消え去ったとき残る自分自身に何も飾りがなかったとしたら

 

カラスはその時、カラスのままでいられるのだろうか。

 

昨日、プレジデントで「難関校に行かせるリスク」を綴ったが

 

子どもに対しても「〇〇高校在籍の我が子」という目線で

親が見続けていたとしたら、その子は社会人になったときに

「カラスの自分」も「また良し」と認められるのかな?って

ことを考えて、この話を思い出した。

 

これは自分自身にも言えることだが、世間で定年という年齢に

近くなってきたら、過去、どういう会社にいて、役職は何だったとか

子どもはどこの大学に入ったとか、

上だ、下だってことをなるべく抜きにして

 

今、この瞬間、笑い合えるような付き合いができると理想だなって

そんな風に思っている。

 

 

 

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