2016年9月13日火曜日

映画「まなざし」を観て、考え込んで動けなくなった話


 観ちゃいけないっていうのはわかってたんですよ。

台湾の高名な占い師にも「あなた、イヤミスみたいな映画とか本とかに

接しちゃダメあるよ!」と忠告されてるんですよ。

映画「まなざし」Facebook


 

でも、行っちゃったんだなぁ。

怖いから、学生時代からの友人たちを道連れにした、鬼のようなアタシ。

http://eiga.com/movie/85154/ ←映画紹介
 

まあ、平たく言えば、感謝どころか恨みしかない親の介護を

いきなり押し付けられて、壊れて行く娘の話です。

 

いやね、俳優さんも女優さんもすごすぎるし、監督さんが

いくら介護職でもあるとはいえ34歳の若さでよくわかるね!って

ことにびっくりです。

 

主人公である介護される方の父親と、同じく主人公である娘は

殆ど一言も発しないんですよ。

 

殆ど誰もしゃべっていない映画なんですね。

 

タイトルどおり、目の表情だけでリアルを追究してくるから

もう、観ていてこっちが逃げたくなります。

 

セリフがない分、小道具やセットの効果が素晴らしくて

それは聖書や十字架のネックレスやら仏壇や花瓶の菊の花やら

コンビニ弁当やお湯を沸かすやかんなどに現れるんですが

 

一番、すごいなと思ったのは「襖」の使い方ですね。

 

父親がいる空間と自分が壊れて行く空間を分けたり

「閉める」「開ける」という動作だけで感情を表現できるのかと

感心しました。

 

老いる方もね、何も好き好んで老いているわけではない。

 

体の自由が全く利かないのに

それでも「食べること」と「排泄すること」は止められない。

 

このどうしようもない「現実」を忠実に描いたことは

拍手です。

生きることは決して綺麗ではなく、むしろ際限なく汚いと。

 

この父親は殺人犯で刑期を終えたときに要介護状態が

重すぎたために、実の娘のところにお払い箱になったところから

スタートする話で、育てて頂いた感謝を持てない親を

子どもは赦すことができるかがテーマなのだと思います。

 

私は殺人犯の子どもではないですけど

実母には「『こころの殺人』を一杯やらかしてくれたよね、この人」と

いう思いがドンドン大きくなって行くので

 

このテーマはかなりの重さで迫って参りました。

 

私ね、思ったんです。

 

この根岸季衣さんが演じた「ヨウコ」は介護士でしかも

仕事が出来るし、しかも手抜きはしない人物なんですよ。

 

技術があるので、こころの中はぐじゃぐじゃなんですが

どんな状況下でも、最低限、生きていけるラインのことは

完璧にやるんですよね。

 

例えば、呼吸器の数値を見るとか、喉の詰まりを取り除くとか

床ずれがひどくならないように薬を塗るとか

クッションを当てて、体位を保つとか、そういう技術力が秀でている

ので、やさしいだけの一般人よりも遥かに役立つわけです。

 

これって、程度の差はあるんですが「PTAに似てね?」って

思いました。

 

PTAって向き不向きがあるので、誰でもやれるわけではなく

むしろ「お荷物」は黙って不参加の方がご迷惑をかけずに済む的な

ことが出てくるんですよね。

 

でも、出来る技術がある人でも、時間も手間もかかる。持ち出しもある。

自分の家庭にも負担をかける結果になる。

 

それがわかっているので、中々、積極的に手を挙げにくい状況には

なるんですが

 

結局、手を挙げてしまう人はね「スキルがある」ことが

自分でわかっているんですよね。

 

「じゃ、もうアタシがやるよ!」ってことになる。

 

これって、介護も結局、同じで

逃げ回る人は逃げ続ける人生で「ラッキー♪」と思い

 

遺産相続の時にだけ顔を出しますよね。

 

PTAで言えば、行事の時だけ「どや顔」で来る的なことです。

 

その陰で「損な役回り」な人が出るってことです。

 

私はPTA大好きだったので、損だと思ったことは一度もないですが

介護は次元がその比ではないので「大損」ですよね。

 

「ええーーー!!!???なんでアタシ??」ってこともあるし

「いつまで生きまんねん!?」と親に対して思うし(言えませんが)

「生きててもいいけど、アタシとは遠いとこで生きろや!」ってことは

思いますよね、毎日。

 

でもね〜、映画を観て思ったんですよ。

 

「ホントに損?」って。

この映画のラストは「人として」というところで

終わっています。

 

ヨウコは父親を見捨てることも可能ではあったでしょう。

でも、見捨てる後悔を背負うだろう自分と

更に能力がある自分がわかっていたから

 

めんどうをみてしまった後悔よりも

めんどうをみなかった後悔を選んだのだと思います。

 

介護を押し付けられた形になったすべてのケアラーに

捧げる作品になっていると感じました。

 

あ〜、でもね、こうは言いましたが

敬老の日は行政さまが余計なことをしてくださって

有名ミュージシャンを呼んで、市内のご老人に無料で楽しんでいただく

コンサートを開催してくださいます。

 

ウチの老母、行くんだそうです。もう予定しているんだそうです。

 

で、それがお昼からなので、お腹がすくから、

その前に外食なさるんだそうです。

 

つまり、私はホームに行き、車椅子と婆さんを車に積み込み

どこかのお料理屋さんに車椅子を降ろし、婆さんを移乗させ

食べさせ、トイレに行かし、再び、婆さんと車椅子を回収し

 

コンサート会場で同じ動作を繰り返すと。

 

「ホントに損?」

 

ホントに損です。損だと思っているのに

でも、結局、やっちゃう。

 
私、(ケアラーの)能力はあるんですが、きっとバカなんだと思います。





 

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