2017年11月17日金曜日

それぞれの悼み(その2)


 人間というのは、極限状態に置かれると不思議な思考になる。

いや、私だけかもしれないのだが、冷静なようで

全然、冷静ではないってことだ。



 

今回の犬娘(1310か月)の件で言えば

犬娘が4回吐いた時点で、多分、私は「良からぬ未来」を

確信していたと思う。

 

しかし、同時に「何でもなかったね」という結論を

どうにか導き出そうとしていたのだ。

 

医者に行ったら「良くない未来告知」が待っていそうで

でも、行かないわけにはいかなさそうで

 

それで、私は「お供」を連れて行くことにした。

冷静に聞ける気がせず、耳の数を増やしたかった。

 

それで、たまたま家に居た息子に犬娘を抱かせ、車を出した。

 

ドクターは血液検査とCT画像を元に説明してくれた。

 

「数値上、生きているのが不思議」と。

 

しかしながら、犬娘は特にぐったりしているわけでもなく

いつものように、ドクターにも愛想を振りまいて

尻尾全開だったので、心の中で

 

「数字は数字じゃん!やっぱ、本人の生の姿が真実!」と

全否定していたのだ。

 

しかも、ドクターは「治療次第では元気になる」的な

ことを言うから、気持ち的には私は完全にそっちよりだったのだ。

 

後で息子が言うには、ドクターは「もう無理ぽ」ということを

はっきり告げていたと言うのであるが

 

ダメ情報と良い情報を同時に聞くと、私という奴は

てめ~に都合の良い情報のみをセレクトするのだ。

 

息子は「アンタ(母である私な)だって、お医者さんに

 

『延命は望まないから、どうか、痛くないようにだけ

苦しまないようにだけ、お願いします』って言ってただろ?」

 

と抜かしやがるのだ。

 

もちろん、そう言ったのは私だし、自分にも記憶が

あるんだが、何だろう?最悪のことが起こっているから

 

それに対して、何かのアクションを冷静にしないと

いけないので、それなりっぽいことを答えるのだが

 

頭の中の思考は全然、付いて行かないっていう感覚

だろうか?

 

これは3月の実母の終末期でも全く同じだった。

私は何の経験値も上げていなかったのだ。

 

母の時も、ある日突然、ドクターが

 

「お母さんはこの数値で生きているのが不思議」と

言った。

 

そして私に「終末期ですが、延命しますか?

看取りに入りますか?」と待ったなしの2択を迫ったのだ。

 

しかし、犬娘もそうなんだが、母も、もうすぐ死ぬようには

全く見えなかった。

 

話せたし、椅子にも座っていたし、これが食べたいのなんの

言えて、実際、食べてもいたのだ。

 

私の「死のイメージ」とはかけ離れていたので

「マジでか!?」と半信半疑だったのだ。

 

医者もナースもこの時は犬娘と違って

「回復する」系の話は一切しなかったが、それでも

 

私は検査結果の数値を疑っていた。

 

しかし、医者に向かって、私の口から出る言葉は

 

「自分が責任を取るので、延命はしないでこのまま看取る。

でも、痛くないように、苦しまないようにだけは

約束してほしい」ってなことだった。

 

頭で考えて口から出る言葉と心の中が離れているような

変な感覚だった。

 

母にも犬娘にも「こんなに元気なのに、嘘でしょう?」

だったのだ。

 

現に犬娘はその死の20分前に自宅前を散歩し

自分で部屋の中を歩き、犬娘用の水飲み場で

いつものように自分で水を美味しそうに飲んだのだから

 

そんな子が死ぬわけないと思い込んだ。

 

「死が近い」=「永遠に会えなくなる」

 

このことを認識しているのに、認識できない。

 

私は「冷静と夢遊病」の狭間で、今年、2回目の

訳がわからない状態の中にすっぽりとはまり込んでいた。(続く)
 
 
 
 
 

 

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