2017年10月7日土曜日

死に方は選べないけれど


 親戚が亡くなった。ウチの母と似たような年齢だ。

 

とても元気だったのだが、ある日、突然、倒れ、救急車で病院に

運ばれ、一命を取り留めた。

 
 
 


意識は戻っているような、戻っていないようなという状態だった

そうで、その家族は当然、延命に力を入れる。

 

人工呼吸器、胃ろう、点滴と「元の暮らしに戻る」ために

あらゆる処置を望んだし、またドクター陣もできる限りの

措置をしてきたのだと思う。

 

「目を開ける」「こちらを見つめるような気がする」

「耳は聞こえているような気がする」

 

というような状況だと聞かされ、それから3年ほど経つと

今度はいよいよ喉を切開して、気道を確保する手術に

踏み切った。

 

それを行わないと、死に直結してしまうとかで

家族はそれを選択した。

 

それから、1年は経っていないような気がするが

訃報を受け取ったという次第だ。

 

その親戚がベッドの上にいるという報告をウチの母の

生前にしたことがある。

 

ウチの母は親戚の状態を憂いながらも、自分は

管だらけにはなりたくないと言っていた。

 

「じゃ、速攻で殺すことにします」と言った私に

母は笑っていた。

 

母に私にとっては突然の「ターミナル宣言」が下された時

 

ものすごく迷ったが、結果、病院に行くことを

私の最終判断で拒んだ。

 

脳も体も元気になって、元通りの暮らしに戻れる可能性は

全くないという予想だったのだが、この親戚の様子も

頭の隅にあったのだ。

 

結論的にはどういう死を選ぼうとも、よほどの高齢で

枯れ木になっている人ではない限り

 

通常の水分保持者にとっての「死」は壮絶になると

いうことを学んだ。

 

多分、これは想像だが、体は死にたいのに

脳が死にたくないと言っているような感じ。

 

もし、私が親戚の家族であったならば、100%

病院に運び、治療を施し

 

「延命のためにはこの選択肢があり、やらなければ

死亡します」と言われた場合

 

「お願いします」と言ってしまうのだろうと考える。

 

最期は選べないけれども、家族が「元気になってくれ」と

奇跡にかける気持ちを優先するのか

 

私のように諦めが異様に良く「苦しむことなく、速攻で

逝ってください」ということを優先するのか

 

本人にはどちらが良いのだろうってことを

 

もう川を渡り切ったであろう、高齢者ふたりの死を

まだ尚、グジグジ考えてしまうのだ。

 

 

 

2 件のコメント:

  1. りんこさん、こんにちは。
    生きてもらいたい(回復は見込めなくても)というご家族の気持ちわかります。
    管だらけになってまで生きていたくないというお母さまの気持ちもわかります。
    むずかしいですよね。
    私の両親は「延命治療は希望しない」と家族に対してずいぶん前から意思表示をして、書面にして私が預かっていました。
    けれど、父は突然倒れて旅立ちました。(救急車を呼びましたが間に合いませんでした)
    母はまだまだ元気で暮らしていますが、時々その話をしています。
    私がそうなったら、自分で呼吸もできないのなら、何もしないでほしいと思っています。
    その場で「死ぬのを見届けること」ができるか…
    つらい選択ですね。

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    1. コメントありがとうございます。

      自分で「こうしてくれ」と決めて、託していたとしても
      こればかりは希望通りになるとは限らず、難しいですよね。

      ただ、一度、病院送りにして、高度医療が始まると
      「殺人罪」適応になりかねず、止められないって
      ことが問題のような気がします。

      死は誰に責任があるのかということで

      私はその責任は死ぬ人間にあってほしいと思う次第なのです。

      お父様、突然だと思いが残りますでしょう。
      せめて、お母様との日々が充実されますように!!

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