2017年1月27日金曜日

我が子をいじめから守るために



Yahoo!ニュースから引用する。

 

<いじめ>「被害者も悪い」小中3割 金沢市教委アンケート

毎日新聞 1/26() 17:15配信



 

 金沢市教委が今年度、市立小・中・高校の全児童・生徒約3万5000人を

対象に実施した、いじめに関するアンケートで、小学生と中学生のそれぞれ

約3割が「いじめられる人も悪いところがあると思う」と答えたことが分かった。

逆に「思わない」と答えた割合は、中学生が小学生より半分近く少ない全体の

2割弱で、学年が上がるにつれ、いじめの原因が被害者にもあると考える傾向が

強まる実態が浮かんだ。【中津川甫】

 

☆☆☆

 

 これを読んで「そっかぁ~」とため息が出た。

こういう理論だと「いじめられる側も悪い」→「悪いところがあるから

いじめられても仕方がない」って飛躍してしまいそうだ。

 

以前、ネット上のコラムだったかで読んだことがあるのだが

「いじめられないために〇〇しましょう」というような内容だった。

 

〇〇は清潔な身なりをしましょうとか、目立つ格好をしないように

しましょうとか、暗い性格を直しましょうみたいな内容で

滅茶苦茶、驚いた。

 

そういうことを気を付ければ被害者にならずに済むという

単純な問題ではなかろうが!?って仰天したのだ。

 

「いや、そこじゃなくね?」っていう感覚だ。

 

でも、被害者になりやすいタイプ、言い方を変えれば

「被害者として選ばれてしまうタイプ」は存在すると思う。

 

それは「サイコパスに狙われてしまうタイプ」だと私は思っている。

 

サイコパスと言うと、何やら恐ろしい殺人鬼のように感じる方も

おられるだろうが、それは突飛な例で、「良心をもたない人たち」の

著者であるアメリカ人の心理セラピスト、マーサ・スタウトさんによると

それは普通の社会のどこにでもいて、25人に一人とも言われるほどの確率で

お目にかかれるらしい。

(日本人は100人にひとりくらいの確率になると何処かで目にしたことがある)

 

 

その25人に一人の割合で存在する人の特徴を一言で表すならば

「サイコパスは他人の存在をテレビゲームの中に登場するキャラクターと

同じくらいにしか見ていない」ってことみたいだ。

 

一般的に考えられる「良心というものの欠如」があるため

「退屈しのぎ」という動機で人を傷つけることへのためらいがない

ってことのようなのだ。

 

私はかつて息子をいじめてくださった子の親から

「あなたの子どもを殴るとウチの子はアドレナリンが出るんです!」

と面と向かって言われたことがあり、失神しかけたことがある。

 

つまり、このタイプは常に「獲物を狙っている」ってことになる。

 

例えるならば、肉食獣が草食動物の中でも狙いやすいものに

照準を合わせるようなところがあるのではないかと推測している。

 

相手が強引に無理難題を仕掛けてきたとしても

 

「ここは相手に合わせて」

「自分さえ我慢すれば」

「余計な波風を立てて、空気を乱しては」

 

そういう考えに一瞬でも囚われると「獲物」=「被害者」が確定

してしまうような気がする。

 

自分の意見を強く推すことができないタイプであるとか

譲ることが美徳と感じるタイプは要注意だと思う。

 

一部ではあるが、実際にこういう人間が存在するということを

認識しておく必要があり、その人間はかなり魅力的に映るので

 

支持者(傍観者含む)を集めやすい。よって問題がより複雑化すると

いうことを理解しなければならない。

 

それゆえ、常に人に合わせて「迎合」することが必ずしも

正しいわけではないということを頭に入れて置かねばならないのだ。

 

私は子育て中の親には「世間体」ということを第一に考える躾よりも

その子が「何を思って、どう行動したかったのか」を分った上で

まずはその子を認めてから、助言をしていく方がかえってその子が

先々困らないのではないかと考えている。

 

例えば、砂場で我が子が自分のおもちゃで遊んでいるとしよう。

強い子が来て、それを取ってしまったとしたら、或いは

「貸して!」と言う子が来たとしたら、あなたは親として

我が子に何と声をかけるだろうか。

 

もし、まだ遊びたいのに、親から「貸してあげなさい!」と

言われて、我慢をしたとしたら、それは美徳だろうか。

 

自分の気持ちを押し殺して、他人に合わせるという行動は

サイコパスの餌食になる可能性に繋がるようにも思うのだ。

 

「断る勇気」を例に挙げたが、自分の気持ちを発信する強さを持つ訓練を

することは美徳を失うことではなく、この先を生きる上でも、己を確立する

上でも重要な意味を持つと思っている。

 

私はヨガの先生が言っていたインドの諺だか、躾だかの話が

これからの日本の子育てには必要なのではないかと感じる次第だ。

 

それは日本人が行って来た「人に迷惑をかけるな」という躾ではなく

「あなたは人に迷惑をかけて生きていかなければならないのだから

人のことも受け入れてあげなさい」というものだ。

 

更に言えば、日本人は「人のお役に立たねば」→「価値がない」と

いう思考に覆われているらしい。

 

そうではなく、人間は誰しも、その存在だけで十分価値があるのだから

「役立たず」だからと言って、悩む必要も卑下する必要もないって

話なのだが、子育てにおいても、そのことが重要なんだろうなって思う。

 

これが浸透すれば、誰かに過剰に合わせたり、誰かを無価値だと責めたり

更には自らの存在を消してしまうなんてことが少なくなるのではないだろうか。

 

まずは我が子に「意見を言っていいのだ」ということを伝え

家庭の中で既に親自身の手によって「無抵抗主義」にさせていないかを

振り返る必要があると思っている。
 
 
 
 
 
 

4 件のコメント:

  1. りんこ様


    今回の内容、本当に勉強になります。

    中学受験を終えた息子は、今は、とても生活を謳歌していますが、受験勉強期間は私と何度もバトルをして、無理矢理勉強させていた時間も多くありました。

    息子が無口なのは、そのせいもあるのか?とだんだん気が付き始め、本当に些細な事からどんな事でも息子の意見をまず聞くようにと心がけたのは最近の事です。

    最近では、私とバトルになっても強く言い返す事があり、反抗期なのか何なのかわかりませんがその姿が私には嬉しくもあります。まだまだ弱い部分も多くあるのですが・・・

    幼児期から「貸して」→「いいよ」が美徳のように言われていた教育って何なんでしょうね?

    りんこさんは、息子さんに
    「殴るとアドレナリンが・・・」云々相手との対応をどのようにされましたか?
    また、息子さんに「自分の意見を伝えてよい」と具体的にどのような行動で伝えられましたか?

    またお時間のある時でよいので教えてください。

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    1. 遅くなってごめんね。

      意見を聴くようになったって素晴らしい母だね。偉いよ!

      えっと、ウチのたこ太のいじめの件は既に
      「偏差値30からの中学受験 卒業編」に書いているので
      もしよかったら(絶版なので)、図書館で見てみてください。

      また機会があったら、ブログでも触れてみたいと思います。

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  2. 私も「いじめられないために○○しよう」と教えるのはとても嫌だと思って来ました。
    それは言い換えれば、○○しない子はいじめてもいい、と教えているようなものだと思ったのですよね。
    そして実際そうなのではないかと思っています。人は自分がしてきた努力をしない人を見ると、とても腹が立つものですし。

    そして息子がまだちいさかった頃に、子どもの安全を考えるセミナーに参加したことがあるのですが、そのときに講師の方が仰っていたのは「犯罪に遭わない子はNoを言える子」と言っていました。
    子どもを対象にした犯罪者に、何故被害に遭わせた子を対象に選んだのかと聞いたところ、全員が共通して口にしたのが「いやだと言わなさそうだったから」だったそうです。

    私は子どもに、人に迷惑をかけないように、とは教えてこなかったのですが、今の世の中、やはり人に迷惑をかけないのがいいことだと外で学んできているような気がします。
    幸い息子が受験してご縁を頂いた学校は、その逆のことを日々言葉でなく教えてくださるのでありがたいです。

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    1. どうしたって、息してるだけで迷惑かけるからね、人ってものは。

      それを過剰に言って聞かせるのは意味ないなって
      思ってるんだよね。

      難しいけど、まずは自分があって、自分があれば他人も
      当然いるってことを自覚する指導法がいいように
      思ってるんだ。

      ご意見聞かせてくれてありがとう。
      とっても参考になります!

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